第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品


   『 未来を見たい』
        


                                            な ぎ さ 

 

  いじめとは何でしょうか。誰が決めるのでしょうか。どこからがいじめなのでしょうか。私は小学生から高校まで何度かいじめを経験しましたが、その度に学校の先生に言われた言葉があります。それは、「いじめられる方にも問題がある」です。

 私は小さい頃から、友達を作ることに苦労してきました。小学生の頃は廊下を周回して休み時間を潰し、中学生の頃は本を読むことで時間を潰していました。私は中学を卒業後、同じ学科の生徒四十人が、同じ教室で五年間過ごす高専に入学しました。すると私にも、同じ学科の女友達が四人出来ました。その中の一人が私の人生で初めて出来た親友でした。彼女は勉強が出来て、友達が多くて、明るくて、誰とでもすぐに打ち解け、先輩にも後輩にも可愛がられている人でした。私が持っていないものを全て持っているような人でした。私の入学してからの三年間には、常に彼女がいました。いつも一緒にいて、一緒に遊びました。彼女といることで、「友達がいない」という幼い頃から染みついた劣等感が、少しずつなくなるような気がしました。私は彼女になんでも話しました。私からの絶対的な信頼を示すためです。私は彼女にいつも気を使っていました。彼女に対して無害であるような言動を心がけ、彼女から見捨てられないようにしていました。これを続けた結果、私は自分でも気がつかないうちに、彼女に少しずつ心を支配され、つけいられ、身動きが取れなくなっていきました。

 きっかけはささいで、決定的なことでした。私は高専三年生の冬から彼女が卒業するまでの二年間、彼女にいじめを受けました。なぜなら、私が初めて勇気を出して、友達として、「あなたにされたことが悲しかった」と自分の気持ちを正直に伝えたからです。心から本当の友達になりたいと願った結果、私は彼女にいじめられました。今思うと、彼女から受けた仕打ちは、いじめのきっかけとなったこの言動が初めてではありませんでした。三年間のうちに何度もありましたが、その度に私は見ないふりをして、彼女には何も言いませんでした。自分なら絶対に人にしないことをされても、不利益を被っても、初めて出来た友達を失いたくなくて、傷ついていないふりをしました。そして、彼女はそれを知っていました。

 彼女は、入学当時から共通のクラスの女友達で、私と同じ部活に所属していた三人を味方につけ、同じクラスの共通の男友達を味方につけ、彼女の部活の先輩後輩を味方につけ、私の部活の先輩後輩を味方につけました。私は、彼女の話を一方的に聞いた、彼女の味方に直接こう言われました。「あなたが悪い」「私は何があっても彼女の味方だ」「彼女に謝れ」と。私は学校にいる誰にも、いじめのきっかけとなった出来事を話していませんでしたし、誰にも彼女から受けた仕打ちを話していませんでした。ですが、同じクラスの人、同じ学年の人、私と彼女のそれぞれの部活の先輩後輩、その先輩後輩と関わりのある友達、皆がそのきっかけとなった出来事の一方的な詳細を知っていました。彼らは私の話に耳を貸そうとはせず、私の言葉を信じてくれる人は誰一人いませんでした。そうして私は、クラスでも部活でも孤立し、私に向けられた否定的な視線に怯える日々が始まりました。私は、誰も信じられなくなりました。

 毎日、夜寝るのがいやでした。寝たら朝になってしまうから。朝になったら学校に行かないといけないから。教室のドアを開けて、私のことを裏切り、いじめる彼女と、女友達三人と、男友達を見なければいけないから。彼らの声を聞かなければいけないから。クラスに私の居場所はありませんでした。席を外すと、彼女たちが私の机とイスを占領するから。何か危害を加えられないかといつも怖くて、気が気じゃありませんでした。お昼ご飯の時間がいやでした。三年間ずっと友達四人と一緒に食べていたのに、一人で食べなければいけないから。そしてそれをクラス全員が知っているから。冷たいコンビニのご飯が、冷たい周囲を象徴しているようで嫌いになりました。いまでもコンビニのくるみパンをみると、あのお昼ご飯を思い出します。教室の外で温かいご飯を食べていても、気が休まることはありませんでした。教室の外にも彼女の味方がたくさんいて、自分は一人だということを痛感するから。家に帰ると、毎日理由もなく涙が溢れました。過呼吸になり、息ができなくなりました。当時、私は一日一日をただ過ごすだけで精一杯でした。

 そしてある日、私は学校の先生と面談をしました。最近クラスでどうなのかと聞かれ、私はクラスで過ごすことがつらく、三年間一緒にいた友達からはぶかれているという話をしました。その時先生に言われた言葉が、「いじめられる方にも問題がある」です。私はショックを受けました。そして、彼女や彼女の味方から十分傷つけられた自分を、さらに責めました。帰り道、私は電車の踏切の音を聞いて、胸がざわつきました。「ここに飛び込んだらどうなるのだろう」と思いました。自分がいじめられているという事実を、加害者や周りの人に認めてもらいたくて、いじめを証明するために自殺をする人がいるのではないかと思いました。なぜなら、いじめられて心の中がどんなに傷ついても、どんなにつらくても、目で見える形でなければ他人はそれを理解できないから。

「相手がいじめられたと感じたら、それはいじめである」という話を聞いたことがありますが、本当にそうでしょうか。当時、私は彼女から受けていたいじめを「いじめ」だと、周りにはっきり言えませんでした。なぜなら結局のところ、いじめをいじめとして認定するのは第三者だと思うからです。例えば、第三者である学校の先生が、「これはいじめではない、勘違いだ」と言えば、それはいじめではなくなるのではないでしょうか。私は、「いじめをいじめだと認めてもらえない」、これこそがいじめを受けている人の最大の弱みであり、悩みであり、苦しみだと思います。
 私がいじめられて最初にしたことは、自分自身を責めることでした。最も信頼してた友達に裏切られても、まだ心のどこかで信じたいと思う自分、結局友達がいない自分、周りの目を気にしている自分が情けなくて、恥ずかしくて、とても惨めに思えたからです。ですが、私は本当に誰から責められるようなことをしたのでしょうか。どれだけ悪意のある嘘の噂を流されても、足を引っ張られても、彼女が周りの人を使って私を責めても、彼女に追い詰められて孤立しても、私は彼女に対して、決して何もしませんでした。彼女の周囲に対しても、決して何もしませんでした。私は何一つとして、誰かに恥じるような行動はせず、真実のみを話しました。そのことに気づいたとき、私は自分自身を責めることをやめました。

 そして私は、自分はいじめられている人間であるということを、自分で認めました。すると、私は自分のことをどれだけ粗末に扱っていたのか気づきました。この世の中に、人をいじめても良い理由なんて存在しないのです。友達でも先生でも総理大臣でも、私のことをいじめても良い権限を持っている人なんて、誰もいないのです。

 私のいじめられていた二年間は暗闇だけではなく、いくつもの温かい光がありました。クラスにたった一人だけ、私に声をかけてくれる男友達がいました。男子のグループを抜けて、孤立している私に話しかけるのは勇気がいることなのに、彼は何度も私のところに来てくれました。学食にお昼ご飯を食べに行ったり、購買にパンを買いに行ったり、隣の席で一緒に授業を受けてくれました。涙が出るほど贅沢で、温かい時間を一緒に過ごしてくれました。彼は私に何も聞きませんでした。私も彼に何も言いませんでした。ですが、彼だけは、学校の中で唯一、私と一緒に過ごした三年間の時間と、私の人となりを信じてくれたのです。彼がいなかったら、私は不登校になって、家族以外の人を信じることが出来なくなったかもしれません。
 彼の他にも、学祭で一緒にバンドをやろうと、誘ってくれた仲間がいました。彼らは私の歌声が好きだと言ってくれました。いじめを受けて人格まで否定されていた私にとって、私のことを認めてくれた唯一の居場所でした。私は、彼らと一緒にステージに立てたことが、本当に嬉しかったです。

 それから、家族にもたくさん助けてもらいました。私の母は、私と一緒にお昼ご飯を食べるために、片道一時間かけて学校に来てくれました。母と食べるお昼ご飯は温かくて、安心できて、お腹がいっぱいになりました。母に会って気を休めることが出来たからこそ、午前も午後も授業を受けることができました。父は学校をやめてもいいと言ってくれました。この言葉にどれほど救われたか分かりません。私は当時、学校をやめたら人生お先真っ暗だと思っていました。だからどんなに苦しくても、学校をやめるなんていう選択肢は、私の中に全くありませんでした。でも父が逃げ道を作ってくれたおかげで、学校に行ってなくても、何にも持ってなくても、私はただ生きていていいんだと思いました。父と同じ言葉をかけてくれた先生に、人生で初めて出会いました。その先生は涙を流す私に、タオルを差し出してくれました。兄と弟は、毎日泣く私を見て、とても心配してくれました。家に帰れば、私のことを大事に思ってくれる人がいることが、私にとってなによりの支えでした。幼なじみの家族も、私にとって大きな存在でした。幼なじみのおばちゃんは、私にとって第二の母です。おばちゃんは、母と一緒に私の話を聞いてくれました。なんてひどいことをするやつらなんだと一緒に泣いてくれて、私の心に重くのしかかっていたものを吹っ飛ばしてくれました。彼女と彼女の味方から、何時間も何回も私を責める電話がかかってきたとき、一緒に受け止めてくれました。私の人生の岐路にはいつもおばちゃんがいてくれて、道を照らしてくれました。

 私は、このときの二年間で新しく始めた事がありました。それは、自分から人に話しかけることです。私は幼い頃からずっと人見知りだったし、いじめられて人を信じられなくなっていたけど、そのままの自分ではいたくありませんでした。少しずつでも自分と、自分の周りの環境を変えたいと思っていました。クラスで孤立したことで、ある意味人間関係のしがらみがなくなった私は、勇気を出してクラスのある女の子に話しかけてみました。その子は、留学生で、自分がやりたいことと、やりたくないことがはっきりしている人でした。それが私にとっては新鮮で、良い刺激となりました。私はその子に、一緒にバンドをしようと誘いました。その子はピアノをしてくれて、一緒に練習するうちに仲良くなりました。

 体育でペアを組んだり、授業中は隣の席に座ったりして、夏休みには彼女の母国を旅行しました。それから、バイト先の子を遊びに誘って、仲良くなりました。その子は、人に分け与えられるほどの優しさを持っていて、私が背伸びをしなくても良い人で、一緒にいると落ち着きます。幼馴染の子も遊びに誘いました。一緒に真夏のフェスに行って、二人で丸焦げになりました。おおらかで、優しくて、芯の強い人です。たった一言の勇気を、たった一人が受け入れてくれたおかげで、不思議なほどに世界が変わりました。それを知ったとき、とても心地よい気持ちになりました。自分から一歩踏み出せば、嫌われることもあるかもしれないけれど、こんなにも良い人と仲良くなれて、人生を楽しむことが出来るんだと思いました。

 私がいじめに屈せずに、毎日学校に行けたのは、今生きているのは、間違いなくこの方たちのおかげです。この方たちのおかげで、自分が大切な存在だったことを知りました。自分自身を認めて、愛して、大事にすることは、自分を幸せにし、人生を豊かにし、自分を愛してくれる人の幸せにつながることを知りました。それから、自分の弱みを見せて、人を頼ることを学びました。どれだけ周りに迷惑をかけないようにしたくても、一人で生きていくことは出来ません。人を頼ることで、人は生きていけます。そして、私はだんだんと自分の殻を破ることが出来て、新しい自分になれました。

 人はなぜ人をいじめるのでしょうか。いじめる側は強い人間で、いじめられる側は弱い人間なのでしょうか。私は人をいじめる人のことを、かわいそうだと思います。自分自身に満足出来ず、他人を羨み、妬み、人を傷つけることで自分の存在意義を確認する、悲しい人だと思います。彼女は能力が高く、友達もたくさんいましたが、私は彼女にはないものをきっと持っているんだと思います。他人からみればささやかで小さなことでも、彼女の目には大きく見えたのでしょう。

 私はいじめられたくて、いじめられたわけではありません。一人になりたくて、一人になったわけではありません。ですが今は、いじめられたことに感謝しています。自分の心を無視して、無理することがなくなったからです。人の心に寄り添うことが出来るようになったから。自分の殻を破ることが出来たから。私がずっと欲しかった本当の友達と一緒にいることを、心から楽しめているから。

 私は今、一人でいても、とても充実した時間を過ごしています。一人ご飯も、一人カラオケも、一人映画も、一人ドライブも、一人旅行も。自分がやりたいことはなんだってやります。そのおかげで、人生の中で今が一番穏やかで幸せです。困難なことが起きても、あのいじめられていた日々と比べれば大したことありません。今の目標は、私の一番の友達に、私がなることです。

 私がいじめを克服するためにしたことは、どんなに最悪だと思う状況でも、自分だけは自分を認めること、自分を愛すること。生きていることより素晴らしいことなどないのだから、全部捨ててどこへだって逃げること。人は一人では生きていけないから、周りの自分を大事にしてくれる人に頼ること。そうして少しずつ顔を上げると、やがて未来が見えてくる。